株式会社グリーン・アート松本社長雑記

経営にそして仕事に対する熱い思いをほとばしらせます。
ここでは後ろ向きなこと、ぼやき、愚痴、低いテンションはいっさい御法度。
真摯なスタイルで綴ります。

遠慮せずどうぞ、どうぞ!

昔の007の映画を見ていると、常に思う。
ジェームズボンドの持つ必殺の武器はいつ使うのか?
そして武器は一回しか使えないので、もったいない使い方をしてしまっては、次のまさかの時に困るのでは?

見ている方の心配をよそに、ジェームズボンドは惜しげもなく、
迷う事なく、その必殺の武器を使う・・・
さらに、100でいいところを150相手をぶちのめす。

思い切りがいい。とても、思い切りがいい。
ボンド。ジェームズボンド。
クール見えて、徹底的に力を出し切る。

で、弊社の仕事におきかえてどうなのか?
なにか遠慮してはいないだろうか?
力出しきっているのだろうか?

今、これをやってしまうと、今後ずっとこれでいかねばならない。とか
明後日が締め切りだから、提出は明日でいいだろう。とか
これ以上やっても同じだから、これくらいでよしとしておこう。とか
に陥っていないか?変な計算していないか?

ジェームズボンドが惜しげも無く必殺の武器使って、力出し切るのは
それくらい、必死な状況だからなんだけどね。

今、この時代のこの状況、力出し切らないと負けてしまうのである。
かなり必死な状況である、ということがまずわかっていないと、力も入らないし、出し切れないだろうなあ。

はい、どうぞ、どうぞ、思いっきり力出して、がんがん、やりまっしょい!
力をセーブしていては、肝心な時に、本気の力出せないのだよ。

普通にやっていては当たり前。誰も誉めてくれないし、感動もない。
そうか、ジェームズボンドではなく「24」のジャック・バウアーで行くべきか?

いずれにしても、例えが少し古いかも。
「24」で言うとあの24時間のためにジャックは普段から8736時間くらいかけて準備をしているのだ。だからためらいなく力を出し切れる。

遠慮せずに仕事しましょうよ!

数値目標

何か目標を立てるときは必ず数値で目標をたてるべきだと言われている。

週に8回、顧客と面談する。
本は週に1冊読む。
ブログは週1回更新する。
1週間で3kg落とす。
などなど

見積は1ヶ月で何枚かく。
あるいは何枚書いたのかをきっちりとチェックする。
数値でそれをチェックするのがとても大切なことなのである。

「いっぱい」とか
「なるべく」とか
「たくさん」とか
「できるだけ」とか
「はやめに」とか
トラックの後ろに貼ってある冗談ステッカーじゃあるまいし
抽象的な表現は避けるべきである。
とても稚拙であいまいで場当たり的に感じる。

数値で計測すると、意外な事がわかってしまう。
「たくさんと思ったのに、案外やっていないなあ。」とか
「なるべくってこの程度なのか?」とか
「はやめにっていつなの?」とか
面倒と思っていた事も、数値目標を立てるとそれが楽しくなってくる。とか

数値目標のめざすところは、
0よりは1、1よりは2、99よりも100と
微妙に目標の設定を上に上げていくことができることである。
なるべくなどと思っていたら、気がついたら永遠に0ということもありうるのである。さらに数値だけでなく,誰が、いつ、何を、を意識すること。

で、実はここからが1.5倍大切なことなのだが、
テニスプレイヤー松岡修造の熱い言葉にこんなのがある。
「100回叩くと壊れる壁があったとする。でもみんな何回叩けば壊れるかわからないから、90回まで来ていても途中であきらめてしまう。」

問題は誰も90回まですら叩いたことがないのだ。いっぱい叩いたと思ってても実は数えてみたら30回だったり60回だったりする。頑張っているつもりが、頑張りのレベルが違うのである。

そこを踏まえた上での数値目標だ。ハードル上げていくべし!
頑張りたい。

誰にいっているのか?
自分でしょ!

看板の文字

〜校正は読んではいけない。一字一句チェックしろ〜

看板の文字が間違っているという事故は、忘れた頃に起こるものだ。
何人もの人がチェックしているはずなのに、なぜかスルーしてしまうから
不思議だ。

私が、初めて勤務した某広告代理店では、印刷原稿の文字校正に関してはかなりうるさかった。それこそ「一字一句チェックしろ!」とか「死ぬ気で校正しろ」 とか言われたものだ。おまけに「大丈夫か?」の質問に対して「大体OKです」とか「たぶん大丈夫です」なんて答えたら、大声でどやされたものだ。
仕事に「大体」とか「たぶん」はないのだそうだ。

今の会社で校正というと、ほとんどが看板の校正である。印刷物に比べると、べらぼうに文字数が少ないのだからかなり楽な方だ。しかし時折、間違いがでてく る。印刷物ではなく、メインの看板の文字が間違っているのだからむしろ重要さではこちらの方が大変なのである。

昨今では原稿をデータでもらうことが多い。文字を自ら入力することがない。だから、データは正しいと思い込んでいる。文字を打ち直したら間違う可能性があるから、なるべくなら文字はいじらないほうがいいという、後ろ向きな考えが常識とされている。

何事も全て人間のやっていること。入力も人間がやっていること。全てのモノを疑ってかかることがプロなのである。 看板も顧客から校正OKでたからといって、安易に安心してはいけない。それを指摘して初めて仕事しているといえるのだ。携わる人間はすべて目をさらにしてチェックすべし。

日時と曜日の関係、有名人の名前、格言、熟語、固有名詞、このあたりは絶対に答えは一つなのだから,データでもらってもチェックすべきであろう。それが意識せずに体がいや眼が動いてしまう人間にならなくてはならない。 うちは看板屋じゃないので・・とかいうやつは輪転機にはさまれて死ぬべし。

花見力。

2013年4月4日 本日は本社の花見だ。
忙しいさなか、強引に開催する。

会社の近くの箕面船場の小さな公園でやった。
桜の木は小さめなものが3本ほどある。
決して、花見の名所ではないが

特典がいくつかある。

• 向かいに楽市があり、酒とつまみに困らない。
• 場所が穴場の穴場過ぎて花見をしてるのは弊社だけ。
• 会社から歩いていける。
充分な理由である。

前々から思っていたが、会社の花見は会社力だと。
強力な組織力がないとなり得ない。

桜の咲く頃、会社の忙しくない時、天気がいい時、そんな気分の時、
そのタイミングがばっちり会う時は少ない。そんな中、日時は急に決まる。
急に決まっても、実行できるのは組織力以外の何ものでもない。
場所取り、段取り、おでん作る人などなど、役割は多い。

集まれるのが少人数でも実行にうつすべきなのである。
そして,確実に毎年継続すること。これが大切である。

箕面船場の小さな公園のささやかなる桜の木は
じっと私たちを見守ってくれていた。私たちはあまり桜も見ずに酒ばかり飲んでいたというのに・・・

ここで一句
「さくら咲け
ささやかながら
天に咲け
われらの会社
咲け(酒)ばかり」

お見事!

花見力。
昔は会社で造花立ててやってたのだから、随分ましだ。

ささやかな桜
ささやかな桜・・・日本人の美徳ではないか

井上氏とおでん
井上氏とおでん

女子力?
女子力?

ビジョン

会社にビジョンはありますか?
などとよく言われる事がある。

例えば、5年後のビジョン、10年後のビジョンと
聞かれた場合に、以前なら売上もしくは利益を
思い浮かべていた。

売上から考えると、かえってビジョンが見えにくくなる。

ビジョンというのは文字通り、映像なのである。
5年後もしくは10年後のリアルな日常が頭の中に描けるかどうかなのだ。
漠然とではなく例えば5年後の3月26日というその日はどうなのか?

その映像は自分の理想の映像でかまわないのである。
その時に誰がいるのか?どんなやつが働いているのか?
どんな会社になっているのか?

それがまさしくビジョンである。

そう考えると、とてもクリアになる。
そのためには今これをやらなければならない。

答えの解がどんどん出てくる。
意外と数字はあとからついてくるのである。

今の私の5年後のビジョンは明確である。

例えば・・・
2018年3月27日11時45分 本社1階工場をそれとなく見回る。
忙しい割にはよく掃除が行き届いている。と、珍しくビスを発見する。
拾って見ると、若井スレンダーSRの40である。このビス1本でも
いい仕事をしてくれるうちの会社のかけらなのだなあと感慨深く
見つめていると工場長が慌てて飛んできて「もうしわけありません!
ビスが落ちてましたね?しまっておきますので」と言う。
私は「いやいや珍しいね。自分でやるよ。」と言いながら、工場で
4カ所あるビス置き場の3番目の置き場のSR-40と書いた箱にそのビスを
戻す。へたくそな字だが実にわかりやすく整理しやすい。長さがわかるように
絵まで描いてある。本日は来客が8件あると聞いている。年度末での仕事のチェックや
打ち合せに午後からお客様が出向いこられるようだ。準備は整っているようだ。
私も少し挨拶しておきたい。銀行に提出する2018年度経営計画書を再度見直して
おきたい。追加事項を・・・・・

こんな感じで具体的に映像が出てくるとやるべき事が
今、本当に見えてくるから不思議だ。

さて、社長の仕事はこのビジョンをしっかり描いて
みんなに伝えていくことである。

まずは、イメージを研ぎすますためにも
夜はゆっくりとしっかりと眠る事である。